戦争の時も田んぼにいたんだ。

1945年(昭和20年)6月1日から7月24日までの間に、徳島県は7回の爆撃を受けています。
徳島大空襲です。


お米作りをしている我が農場では、田植えに向けて田んぼの準備がはじまりました。

6月中旬から7月上旬にかけて、徳島の伝統米「徳ばん」、「弥生紫(黒米)」の田植えの時期です。
毎年この時期になりますと、祖母や叔母から聴いた話を思い出します。


徳島大空襲は、徳島市の上空に米軍のB29爆撃機129機が飛来し、死者は約1千人、負傷者約2千人。約2時間にわたって大量に投下された焼夷弾が民家や工場など、市街地の約6割を焼く被害がありました。

市民の約63%が焼け出されました。

市民約11万人のうち約7万人です。


我が家は徳島市から少し離れたところにありましたが、爆撃機が音をたてて低空飛行で南から飛んできたそうです。
当時幼かった祖母や叔母、家族の心は恐怖に押しつぶされそうだったと思います。
防空壕に本来ならば逃げるところではありますが、それが出来なかったそうです。
「お米を作る為」でした。
田植えの真っ最中だったので、今植えないと、お米がとれないと、飢えと困窮が待っていたからです。

背中に木や草、芝を紐でくくりつけ、爆撃機が上空を飛ぶときには田んぼの中で止まりじっと息をひそめ、通り過ぎると農作業を行い、飛行パイロットからは草にしか見えないようにしながら行ったそうです。

それでも当時幼かった叔母は、飛行機をちらりと見てしまいました。
「眼鏡をかけたパイロットの顔をいまでも思い出す。」そう言っていました。

お米の種は毎年、毎年とる必要があります。
一回の収穫が、確実に来年の栽培に影響します。

我が家は12代目の米農家です。
代々栽培しているお米があります。
地域の歴史を伝えるお米です。

私にとって、その重みは 命のおもさです。

(写真は、戦前の田植え風景です。)

長い歳月が流れ、記憶と残されたものの意味が風化することは苦痛です。

大空襲を体験した人は年々少なくなっています。
今を生きる私たちは、記憶を風化させずにその意味を知り、やはり伝えねばなりません。


ほんとうに、「なんか違う」と食の情報に憤ります。

「食べる」って、カロリーとか、物質を摂取するとか、それだけじゃないですよね。

人を良くする食を、どうぞご家庭で大切に。


新居 希予

伝統食材クリエーター にい きよ

伝統米の栽培を生業とし、伝統食クリエイターとして日本の伝統食材の魅力を発信しています。1300年の歴史を受継ぐ伝統黒米『弥生紫(やよいむらさき』を継承する12代目農家です。

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