伝統食は必要か?


私は無農薬・無化学肥料でお米を栽培し、食に関しての活動の中で家庭での料理についても、「できるだけ手づくりすることを大切にしよう」「家族で一緒に体験しよう」「伝統食を取り入れよう」とお話しすることがあります。

そんなお話をする中で、よく言われるのはこちら↓

「いちいち安全性を確かめてから食べていたら、食べるものがなくなる」
「神経質にならなくても、食べたからと言って直ぐに健康を害するわけじゃない」
「食べても命に問題はないだろう」
「伝統食品や文化が伝わらなくても、命がなくなるわけじゃない。生きていける。」
「みんな気にしないで食べている」
「時間がない」「そんなに暇がない」「新居さん(私)は暇なんだ」
「面倒くさい。億劫だ」
「費用がかかる」
「贅沢だ」

よく言われる。

これを食品取扱業者が同じ言葉を言ったらどう思うのだろうか。

「いちいち安全性を確かめて材料さがしていたら、作るものがなくなる」
「神経質にならなくても、食べたからと言って直ぐに健康を害するわけじゃない」
「食べても命に問題はないだろう」
「みんな気にしないで食べている」
「時間がない」「そんなに暇がない」
「面倒くさい。億劫だ」
「費用がかかる」
「贅沢だ」

食べ物に関して頑張る人と、頑張らない人がいるように、
それに合わせて製造する業者がいるのです。


あなたは、あなたと同じ言葉を発するお店の食べ物を口にすることは出来ますか?
あなたは特別で、
お店は仕事でしているんだからと、
業者にだけ頑張りを押し付けちゃうのだろうか。

仕事とプライベートを天秤にかけるのだろうか。

物事はいつも二面性が背中合わせになっていて、
正しい事も、悪い事も、
一方向から見たときでないと同じにはならないけれど、
その選択はあなただけのもの。
その選択で得るものも、あなただけのもの。
その選択で得たものに、あなたは責任をとるのです。

すこしの努力から始めた人が得たものや環境、健康はその人が努力をしたから。
すこしの応援をすることで、安全で安心できる環境が育ち、あなたをサポートしてくれたとしたら、それはあなたがすこしの応援からはじめたから。
面倒なことを「億劫だ」といいますが、
この 億劫の『 劫 』という字は、とてつもなく長い時間や、脅かす力を表しており、
碁でいう「劫」の状態は一石のやりとりに長時間争いを繰り返してきりのない状況をさすそうです。
ひとつひとつが損得で測られ、所作に心がなくなれば形だけになったり、なにも得られない事があります。
億劫だ億劫だと逃げれば逃げるほど、『劫』字を見ればわかるように「力が去る」のかもしれません。

人の一生は短く、いつかは肉体は消えてしまうし、あの世に持って行けるものは何もありません。

沢山の人の住む街は時の流れと共に大きく景色が変わっていきますが、田んぼは、田に苗を植えて、稲を刈り、また土を耕し、景色は一巡して元通りになります。
繰り返し変わらないこの風景には、足跡が刻まれるだけでなにも残りはしません。
田んぼに受け継がれる伝統は形あるものではなく、思いと味の記憶だけが残り続けていくだけなのです。

「伝統食品や文化が伝わらなくても、命がなくなるわけじゃない。生きていける。」
という意見も、「生きている」という事には違いないと思います。
しかし、人間は心の世界を生きる生き物だから、いつも心が迷ったり、希望に満ちたりします。
そんな時に、伝承される思いや戒め、考え方が、刹那な「人の一生」を導く光になってくれるのではありませんか?

私の一生で出来るのは、生き様を通じて、我が子に道しるべを残す、それだけです。
だからこそ、とても難しい。
でも、難しいからやらないというわけではないのです。

目指して頑張るのです。
それが生き様です。


伝統食材クリエーター にい きよ

伝統米の栽培を生業とし、伝統食クリエイターとして日本の伝統食材の魅力を発信しています。1300年の歴史を受継ぐ伝統黒米『弥生紫(やよいむらさき』を継承する12代目農家です。

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